発達障がい児子育て心理カウンセラーの 小野寺 郁子(おのでら いくこ)です。
長年にわたり、幼稚園教諭、保育士、児童発達支援管理責任者の立場から、
発達障がいやグレーゾーンの子どもを持つお母さん達の、様々な悩みに寄り添ってきました。
幼稚園、保育園では、受け持ちのクラスだけでなく他クラスのお母さんからも、
発達障がいを含む育児相談を毎日のように受けていました。
児童発達支援、放課後等デイサービスでは、発達障がい児の多さとお母さんの苦労を実感し、
お子さんの支援はもちろんのこと、お母さんの支援(レスパイト)の重要性を感じました。
そして、誰に相談したら良いかわからず、一人で抱え込んでいる方が多くいらっしゃる
という現実に直面したことから、心理カウンセラーとして、
親子で幸せな未来を創るためのお手伝いをさせていただこうと決意しました。
悩み解決にはカウンセラーとの相性が大切
心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、
クライアントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性が
非常に重要なポイントとなります。
そんな点からプロフィールをお読みいただければと思います。
人見知りだった幼少時代
自然豊かな岩手県で生まれ育ちました。
一人っ子で人見知り、大勢が苦手で一人遊びが好きな子でした。
小さい頃からの夢だった幼稚園の先生になって、楽しい毎日
大学卒業後、念願だった幼稚園教諭となり、3歳児の担任になりました。
まだ言葉もおぼつかなく
「いきこてんてぇ~(いくこせんせい)!」(笑)
と呼ぶ、笑顔いっぱいの子どもたちが本当に可愛くて可愛くて・・・。
大変なこともあるけれど、大好きな子どもたちに囲まれて楽しい日々でした。
突然の病からのドクターストップ・・・そして、パニック障害まで発症
しかし、数年経った頃、身体に異変が・・・。
とにかく怠い、思うように動けない、異常に汗が出る、動悸がする etc.
医師の診断は、ほぼバセドウ病と同じ症状の「一過性甲状腺機能中毒症」というものでした。
そして「仕事を続けるのは、もう無理です」という最悪の一言。
どうして、私がこんな病気になるの?
どうして、大好きな幼稚園の仕事を辞めなければいけないの?
その後、追い打ちをかけるように、パニック障害まで発症した私には、絶望しかありませんでした。
「俺が守るから!」優しい彼からのプロポーズ
当時、遠距離恋愛していた彼が、私の病気のことを知ると、
「大丈夫!俺が守るから!」とプロポーズをしてくれました。
こんな病気持ちの私なんかと結婚したいって言ってくれるような優しい人は、他にはいない、
と思った私は、結婚を決めました。
これから、どんな未来が待っているのか、知る由もなく・・・。
夫は超マザコンの構ってちゃんだった
一人目を出産し、育児で大変な私に対して夫は
なぜか不機嫌な態度を取るようになってきました。
子どもが産まれたのに、嬉しくないのかなぁ・・・?
不思議だなぁ・・・と思っていた私は、
「私、なんか怒らせるようなことした?」
と聞いてみました。
すると夫は
「だって・・・全然俺に構ってくれなくなったから・・・」
と、ボソッと言ったのです。
まさか、そんな理由だったとは!
ついに「超マザコン」の「構ってちゃん」が登場しました。
呆れ果てた私は
「この子は、私が世話をしなければ死んでしまうんだよ!あなたは自分のこと自分でできるでしょ!」
と言い放ちましたが、夫の心には全く響きませんでした。
夫の二面性とDVと発達障がい
結婚後、実は夫は「外では良い人」「家ではキレると暴言、暴力」という二面性のある人だとわかりました。
そう…結婚前の夫は、まさに「外では良い人」の姿しか、私に見せていなかったのです。
今思うと、まさに発達障がいを持っている人なのでした。
数年後には、発達障がいの二次障がいである鬱病になり、私へのDVもどんどんエスカレート。
救急車で病院搬送される事態まで起こりました。
私は、夫に怯えながらも、子どもたちのために耐えるしかありませんでした。
娘も、もしかして・・・発達障がい?
娘が小学校1年生になると、毎日、ひらがなを1文字ずつ、1ページに何度も書く宿題が出ました。
上手く書けているのに、何度も消しては書き直す娘。
「上手なのに、どうして消しちゃうの?」
と言う私に
「だって、これじゃ、ダメなんだもん!」
と娘。
案の定、なかなか進まず、時間ばかりかかって、しまいには泣きだすのです。
妙なこだわり、完璧主義・・・。
また、宿題や時間割がわからないとパニックになり、
「先生に電話して、聞いてちょうだい!」
ということも、よくありました。
今になって考えると、おそらく娘も発達障がいを持っていたのでしょう。
しかし、当時は発達障がいについて、今のように情報がなかったため、
「変わった子だなぁ」「個性が強い子だなぁ」
と思って、やり過ごすしかありませんでした。
児童相談所も学校の先生も、わかってくれない
そんな娘が5年生になると、気に入らないことがある度に、私に暴力を振るうようになりました。
あまりの酷さに、耐えられなくなった私は、泣きながら児童相談所に相談しましたが、
「そのうち治りますよ」
と言うだけで、なんの解決にもなりませんでした。
担任の先生にも相談しましたが、
「学校で頑張っている分、家で我儘を言うことで、バランスを取っているんですよ」
で済まされてしまいました。
私の苦しみを理解してくれる人は、誰ひとりいなかったのです。
心療内科を受診、とうとう鬱病に・・・
夫と娘の発達障がいで、心と体が悲鳴をあげていた私は、心療内科を受診し、鬱病と診断されました。
家族に発達障がいを持つ人がいると、自分まで壊れてしまうことがあるのです。
心療内科で出してもらった薬を飲んで、体は少しずつ回復していきましたが、
心はいつまで経っても回復することはありませんでした。
その時、初めて「心理カウンセラーに相談してみよう」と思ったのです。
もう限界!誰か助けて!心理カウンセラーとの出会い
心も体もボロボロで泣きながら話す私を、カウンセラーの先生は優しく受け止めてくれました。
「今まで一人で抱え込んで、辛かったでしょう」
初めて、そんな言葉をかけてもらい、
「この先生になら、何でも話していいんだ」
「どんなことでも受け止めてくれるんだ」
そう感じた私の心に、やっと光が差してきました。
あの時「助けて」と言えなかったら、カウンセリングを受けていなかったら、今の自分はなかったと思います。
心理療法ってスゴイ! 私も学びたい!
心理療法によって救われた私は、
「世の中には、私のように悩んでいる人が、たくさんいるはず!」
「今度は私が、そんな人たちを救いたい!」
そんな想いにかられ、心理講座でカウンセリングや心の仕組みなどについて、必死に学びました。
心理カウンセリングルーム「虹色テラス」
★「友だちとのコミュニケーションを上手く取れるようになってほしい」
「社会に出たとき困らないようになってほしい」と願うお母さん
★我が子の発達障がいを受け入れることができないお母さん
★誰に相談していいかわからないお母さん
に向けて
子どもの個性を最大化する自己肯定感を育てるカウンセリングを、
ASD、ADHD等 子育て心理相談歴14年 累計10000件の実績を活かしながら
親子で幸せな未来を創るための心理カウンセリングルーム「虹色テラス」にて、
行なっています。
発達障がいでも生きやすい世の中を目指しながら、子育てだけでなくお母さん自身の人生も大切にして生きていただきたいと思っております。